2009年08月05日
◆ セミモクセイ
ウチの庭に植えてあるキンモクセイの幹が切られてしまった。
ガキの頃からのつきあいなので少々寂しい。
今から約20年前、マイホームを建てるという偉業を成し遂げた父であったが、母はこの家の台所から臨める庭にいささか不満を感じていた。
それというのも、家の背面に田んぼがあるのだが、その向こうにある道から、家の庭を通って台所まで、視界をさえぎるものが何もなかったからである。
その道から距離はあるので、日中はさほど気にならない。しかし、夜など台所で電気をつけようものなら、たちまち赤裸々な家庭の事情が、路上から鑑賞できる劇場のごとくライトアップされてしまうのである。
とりわけ、風呂上がりは裸で家中を歩き回り、歌を歌ったり、シャドーボクシングなんかをやりだす息子を持つ母にとって、この問題の打開策を遂行することは急務であった。
そこで母がとった打開策が、その道と台所をつなぐ視線上に木を植えることだった。テキトーに持ってきたらしく、その木がキンモクセイだとわかったのはだいぶ後のことだ。
「庭に木がある」ーそれまで庭なしの賃貸で暮らしていた私にとって、その木の成長はちょっとした楽しみだった。もっと大きく伸びたら、トムソーヤみたいに木の上に小屋を建ててみようかな。しかし、その木は成長してもせいぜい6mほどが限界で、しかも実をつけない(日本には雄株しかないらしい)ことがわかると興味はしだいに薄れていった。
そんなキンモクセイに激ラブなヤツが、実はウチの地面に住んでいた。セミである。
毎年、庭に数十の穴を空けては7年ぶりの地表を目指すセミ達。彼らの多くはこのキンモクセイで成人式を迎える。まれに、家の中のカーテンでやるヤツもいたが…おかげで、この木に実はつかないというのに、セミの抜け殻はよく実っていた。
しかもこのキンモクセイ、デートスポットとしても大人気だ。夏は視認できるだけでも20匹程度のセミ達が求愛の大合唱をがなりたててくれている。たしかに、やかましくはあるのだが…なぜかそれほど不快ではなかった。
漠然とこれからもずっと続くものだと思いながら、そんな光景を毎年、夏になると台所から眺めていたものだが、終わりはあまりにあっけないと言えば、あっけない。
朝、いつものように台所で朝食をとりながら庭を眺めていると、いつも向かい道との視界を塞いでいたあの木の枝葉が見えない。正確には地表から1.5mほどで幹と枝が切り落とされていた。
やったのは、これまた母である。
聞くとこによると実はこのキンモクセイ、成長しすぎて母の負担になっていたらしい。
家にきたときは2mほどだったこの木も、成長して4mほどになっている。それなりに枝も葉も伸びるわけで、隣家にお邪魔するようになってしまっていたのだ。おまけに落ち葉も固くて、土に還らない。
その都度、母が手入れをしていたわけであるが、これから高齢化して対処出来なくなることをおそれて決断したのである。
それほどその木に愛着があったわけではないが、いざ切られてしまうとやはり少々もの悲しい。
今年、おかざと家第20回生のセミ達が卒業していったが、デートスポットとして利用するヤツは少なかった。背の低くなってしまった木では彼女に声が届かないと思っているらしい。7年後は地中から出てくるヤツすらいなくなってしまわないか、ちょっと不安だ。
おかざと
ガキの頃からのつきあいなので少々寂しい。
今から約20年前、マイホームを建てるという偉業を成し遂げた父であったが、母はこの家の台所から臨める庭にいささか不満を感じていた。
それというのも、家の背面に田んぼがあるのだが、その向こうにある道から、家の庭を通って台所まで、視界をさえぎるものが何もなかったからである。
その道から距離はあるので、日中はさほど気にならない。しかし、夜など台所で電気をつけようものなら、たちまち赤裸々な家庭の事情が、路上から鑑賞できる劇場のごとくライトアップされてしまうのである。
とりわけ、風呂上がりは裸で家中を歩き回り、歌を歌ったり、シャドーボクシングなんかをやりだす息子を持つ母にとって、この問題の打開策を遂行することは急務であった。
そこで母がとった打開策が、その道と台所をつなぐ視線上に木を植えることだった。テキトーに持ってきたらしく、その木がキンモクセイだとわかったのはだいぶ後のことだ。
「庭に木がある」ーそれまで庭なしの賃貸で暮らしていた私にとって、その木の成長はちょっとした楽しみだった。もっと大きく伸びたら、トムソーヤみたいに木の上に小屋を建ててみようかな。しかし、その木は成長してもせいぜい6mほどが限界で、しかも実をつけない(日本には雄株しかないらしい)ことがわかると興味はしだいに薄れていった。
そんなキンモクセイに激ラブなヤツが、実はウチの地面に住んでいた。セミである。
毎年、庭に数十の穴を空けては7年ぶりの地表を目指すセミ達。彼らの多くはこのキンモクセイで成人式を迎える。まれに、家の中のカーテンでやるヤツもいたが…おかげで、この木に実はつかないというのに、セミの抜け殻はよく実っていた。
しかもこのキンモクセイ、デートスポットとしても大人気だ。夏は視認できるだけでも20匹程度のセミ達が求愛の大合唱をがなりたててくれている。たしかに、やかましくはあるのだが…なぜかそれほど不快ではなかった。
漠然とこれからもずっと続くものだと思いながら、そんな光景を毎年、夏になると台所から眺めていたものだが、終わりはあまりにあっけないと言えば、あっけない。
朝、いつものように台所で朝食をとりながら庭を眺めていると、いつも向かい道との視界を塞いでいたあの木の枝葉が見えない。正確には地表から1.5mほどで幹と枝が切り落とされていた。
やったのは、これまた母である。
聞くとこによると実はこのキンモクセイ、成長しすぎて母の負担になっていたらしい。
家にきたときは2mほどだったこの木も、成長して4mほどになっている。それなりに枝も葉も伸びるわけで、隣家にお邪魔するようになってしまっていたのだ。おまけに落ち葉も固くて、土に還らない。
その都度、母が手入れをしていたわけであるが、これから高齢化して対処出来なくなることをおそれて決断したのである。
それほどその木に愛着があったわけではないが、いざ切られてしまうとやはり少々もの悲しい。
今年、おかざと家第20回生のセミ達が卒業していったが、デートスポットとして利用するヤツは少なかった。背の低くなってしまった木では彼女に声が届かないと思っているらしい。7年後は地中から出てくるヤツすらいなくなってしまわないか、ちょっと不安だ。
おかざと